一昔前だったら定年退職したら、老後は年金暮らしでノンビリなんてことが可能でした。
しかし、これからの世の中では夢のまた夢です。
それでも、
必要にかられて仕事をずっと続けていた方が、充実した生き方が出来るのではないでしょうか。
人間というのは、どうしても楽な方向に流されがちです。
したがって、働かなくてもいいという環境が出来てしまうと、努力すらしなくなってしまいます。
人間にとって、ある程度の強制力というのは必要なことですよね。
私自身、宝くじの高額当選とかで働かなくてもよいという環境になったとしたら、全くダメ人間になってしまうことでしょう。
「貧困だからこそ、充実した人生」という考え方もできます。
もちろん、私は貧困脱出のために日々頑張っていますが、貧困度が極めて高いのでダメ人間になる確率は低いでしょう。
前置きが長くなってしまいましたが、今回は、高齢者が社会に受け入れられるためには、どうしたら良いかということを考えてみたいと思います。
「自分は自分なりに、これまで一生懸命頑張って良い仕事をしてきた」
そして、
「世の中にも貢献してきた」
年取ったあなたは、こんな風に考えていませんか?
半生を無事に過ごせてきただけでも、人間は自分に自信をもち誇りも持っていますよね。
その自信と誇りは大切なのですが、とてもやっかいなものでもあるのです。
老いていると、人をまくしたてるようになります。
そして、
お説教とか暴言をはくようになりがちです。
私の人生の中でも、そのような老人が沢山いました。
頭が固くて絶対に自分の意見を曲げずに人の意見を聞き入れない。
あなたの周りにも、そのような老人がいませんか?
年齢に関係なくそのような人はいますが、とくに老人にその傾向が多くみられます。
人間は老いてくると、「人を愛する力」が薄れてくるようです。
要するに、自分勝手になりがちだということです。
老人が社会に受け入れられにくいという理由の一つに、そのような問題があると思います。
自信と誇りはとても重要です。
しかし、それは・・
心の奥にしまっておくものであって、全面に出すものではありません。
老いてこそ磨かなければいけないこと。
それは、「人を愛する力」でしょう。
あらゆる生き物の中で「人を愛する力」があるのは人間だけです。
そして、それは誰の心の中にもあります。
しかし、残念なことに、老いて肉体が衰えてくると「人を愛する力」はどんどん減ってしまう傾向にあるようです。
最近、「キレ老人」という言葉をよく耳にしますが、「人を愛する力」が減ってしまった状態がまさにこれです。
幸いにして、失わないように気を付けていさえすれば、この「人を愛する力」は老いても成熟していきます。
この力があるからこそ、人に対して「思いやり」をもつことができます。
決して自己中心にならずに、まずは、自分自身を改善させなければ社会は受け入れてくれません。
日々是好日(にちにちこれこうじつ)という禅の言葉があります。
「来る日も来る日も嬉しくて楽しくてしょうがない」という意味だそうです。
そんな人生にするために「人を愛する力」を熟成させていきましょう。
頑固なまま、暴言をはいたりお説教をしたりして生きるのか
それとも、
「人を愛する力」を育てて多くの人に優しい言葉を与えて生きるのか
そのどちらを選択するかによって、
社会が自分を受け入れてくれるかどうかが決まってきます。
そして、
自分自身の老いの終着駅も変わってきます。