歯科技工士としての35年間そして廃業

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こんにちは、モリフクです。

いつものことながら、

長期の休み明けというのはダラダラしてしまいます。

なんと、今回のお盆休みは10日間もありました。

しかし現在Wワークの身ですので、昼間の仕事は10日間休みですが、

夜の仕事は年中無休の交代制勤務になりますので、

丸一日休めるという日は限られきます。

現役で歯科技工士をやっていた頃も、歯科医院が休みの時は基本的に休みになるのですが、技工物の納品が休み明けに集中するので、実質的な休みというのはあまり無かったです。

さて、今回は私が東京から長野に移住してからの生活についてお話したいと思います。

前回お話したように、東京のアパートの一室で歯科技工所を開業してからしばらくの間は、東京で自由気ままな生活をしていたのですが、母親が長野に移り住むということになり、

私も長野に移住せざるをえない状況になりました。

ここで、少しだけ私の生まれ育った環境についてお話します。

父親は自営業、母親は専業主婦でしたが、夫婦仲は昔から悪かったです。

私は4人兄弟(すべて男)の末っ子です。

父親の仕事場は自宅とはかなり離れていたので、月曜日~木曜日までは、仕事場に泊まりこみで自宅には帰りませんでした。

金曜日の夜~日曜日までは自宅に帰ってくるのですが、父親が帰ってくる金曜日の夜になると、いつも母親は不機嫌でした。

両親仲が悪いと家族全体もまとまらなくて、兄弟が多いにもかかわらず、それぞれが好き勝手に生きていたという感じです。

とりあえず兄弟全員が大学まで行かせてもらえたので、我が家は比較的裕福だったのだと思います。

3人の兄たちは家を出て、それぞれ結婚して家庭を築きましたが、私は仲の悪い両親の影響からか、結婚というものに理想を求めていませんでしたので、生涯独身を貫くつもりでいました。

私が30歳の頃だったと思いますが、両親は別居することになり、静岡に住む父親を残して、母親は長野県の片田舎で1人暮らしをすることになりました。

もともと長野という場所に憧れを抱いていたようです。

母親の選んだその場所はとても辺鄙な山の中で、老人が1人きりで暮らすのはとても無理な環境でした。

しかも、母親は車の運転も出来ません。

しかしながら、母親はえらくその場所を気に入ってしまい、どうしてもその場所に住みたかったようです。

そこで、気ままな1人暮らしをしていた独身の私が、母親と一緒に住むことになりました。

兄弟からは、「皆、それぞれの家庭があるから、母親と同居することは出来ない」ということで、母親のことはすべて私に任されました。

私はその時「兄弟って、皆、自分勝手だな」と思いましたが、仕方なく、東京での生活を諦めることにしました。

長野での生活は馴染めませんでしたが、しばらくは東京と長野の二重生活でしたので、それほど苦にはなりませんでした。

歯科技工の仕事場も長野と東京の二箇所に設けて(本当に簡易的な仕事場です)、東京と長野の二箇所の歯科医院の仕事を受けていました。

母親が脳梗塞で倒れたのは私が39歳のころです。

倒れてすぐに病院に運びましたが、帰らぬ人となりました。

私は、その場所に住むという理由がなくなりましたので、以前から仕事をしないかと誘われていた、長野県上田市の歯科医院の仕事をするために、上田市に移り住むことにしました。

その頃はすでに長野と東京の二重生活もきつくなってきていたので、思い切って長野に家を建てることにしました。

その家が、現在住んでいるこの家です(もちろんローンです)。

生まれて初めて、歯科技工所らしい仕事場も作りました。

仕事は順調でした。歯科医院一軒の仕事だけで生活できるだけの仕事がありました(もちろん家族があれば足りないくらいの額ですが)。

ただ、仕事自体は楽ではなかったです。

保健の仕事が中心でしたし、急ぎの仕事も多かったので、徹夜の日もよくありました。

それでも自分の好きな音楽活動も出来たし、しっかり休みもとれました。

しかし、そんな気ままな生活に暗い影が見え始めたのです。

もちろん歯科技工の仕事自体は一生懸命やっていたのですが、

たいした基礎も無いまま開業してしまい、その後も不勉強でしたので自分は歯科の世界から取り残されていたのです。

取引先の歯医者さんから、歯科の研修会に誘われてよく出かけました。

東京の医科歯科大学の歯科研修会に出かけた時に、そこで講師をしていた人が、なんと歯科技工士学校の同級生だったのです。

「今、自分がやっている歯科技工の仕事なんて、最低レベルだ!!」

そう思いました。自分の年齢はすでに45歳でした。

長年の不勉強、全く進歩していない自分の技術・・・

本当に悔やみました。

何とかまた勉強して頑張ろうと思いました・・

しかし、時はすでに遅かったのです。

”歯科業界の低迷”

歯科医院の数がコンビニの数より多いということを知っていますか?

そうなのです、どこを見ても歯科医院の看板だらけなのです。

以前は歯医者さんというと「お金持ち」というのが当たり前でしたが、現在では、歯科医自体が増えすぎてしまって飽和状態。

患者さんの奪い合いになってしまい、倒産する歯科医院も増えてきました。

今や、歯科医は5人に1人は年収300万円以下、平均年収540万円と言われています。

たしかにバブル期は稼げました。

それは歯科技工士も同じです。

現在、歯科医院の下請けをしている歯科技工士はもっと悲惨な状態です。

本当に生き残れる歯科医と技工士は、一部の腕の良い、常に最先端の歯科医療を勉強している人たちだけです。

私のような能力の無い、不勉強の3流歯科技工士は生き残れない時代になってしまったのです。

それでも歯科医の方は、以前のようには稼げないまでも、一般の患者さんの信用さえ損なわなければ、何とか生き延びることも可能です(今後、益々厳しくなるのは必須ですが)。

歯科医側からすれば、少しでも技工料金が安くて、腕の良い技工士に

仕事を依頼するのは当たり前でしょう。

歯科業界の低迷に関しては、単に、歯科医が飽和状態であるということだけではなく、歯科の保健の点数が全く上がらないということも原因です。

これにともない、歯科技工料金も全く上がらないどころか、ダンピングで下がっているというのが現状です。

しかも、

バブル崩壊とともに自費の仕事が大幅に減ってしまったというのも大きな原因です。

私の仕事も日ごとに減る一方で、最終的には一ヶ月の売り上げが6万円まで落ちてしまいました。

しかも、今までは歯科技工の材料である金属は歯科医院持ちだったのですが、金属の大幅な値上げで、歯科技工所持ちということになってしまいました。

これでは生活が出来ないので、知り合いの歯科医院に仕事を出してもらえるか聞いたところ・・・

「技工料金半額なら出してもいいよ」という返事。

これが現実でした。

「どんな荒波が来ても決して滅ぶことのない仕事、歯科技工士!!」

35年間続けてきた、歯科技工士が沈没しました

現在も歯科業界は低迷し続けています。

しかし・・・

歯科医や歯科技工士自体は、

とてもすばらしい職種であると思います

私のような不勉強な3流技工士が稼げていたこと自体が間違っていたので、現在でも、しっかり稼いでいる優秀な歯科医や歯科技工士がいることも事実です。

歯科業界の低迷により、多くの歯科医や歯科技工士が脱落していったというのは、決して悪い事ではないでしょう。

個人的には、自然淘汰されていっても仕方が無いかなとも思います。

ただ、

脱落してしまった自分の人生って、

これからいったいどうなるんだろう?

この時すでに、50歳を過ぎていました。

歯科技工以外の仕事を

全くやったことのない人間がやれる仕事って

他にあるのだろうか?

ここから、人生苦悩の日々が始まるのです。

次回は歯科技工士を辞めてから、どのようにして仕事を探していったかをお話したいと思います。

今回も、最後まで読んで頂きましてどうも有難うございました。

モリフク

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