歯科技工士という仕事

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今回は、私が長年営んできた歯科技工士という仕事についてお話します。

私が生まれたのは静岡県沼津市、その後静岡県清水市(現在の清水区)に移り、小学校~高校まで地元の学校に通いました。ごく普通の中流家庭でしたが、とりあえず大学まで行かせて頂きました。

大学時代は勉強というより、音楽サークルに没頭していたので、大学の4年間はあっというまに過ぎ、将来のことも考えずに就職しないまま卒業してしまいました。今で言うフリーターという時代を一年経験したあと、歯科技工士学校に入学しました。

歯科技工士の国家資格を取得する為には、専門学校(昼間なら2年、夜間なら3年)を卒業しないと受験資格が得られません。

親に頭を下げ、何とか入学金と授業料を出してもらいましたが、夜は歯科技工所でアルバイトをしながらの勤労学生でした。

私は昼間の学校でしたので、2年で卒業して国家試験にも受かりました。

試験は誰でも受かるという話でしたが、私の頃は落ちた人も多かったです。

何しろ受験科目が多いし、実技試験もあるので、大学受験の時よりも勉強しました。

なぜ、歯科技工士という職種を選んだかと言いますと、当時この職種は、一般的な会社員よりも給料が良くて、将来的にも安定していて就職率も100パーセントということで、とても持てはやされていたのです。

しかも将来的に開業すれば、私の苦手な人間関係というものが最低限ですむ、ということがありました。

私はもともと、普通の会社に入って大勢の中で働くということに抵抗を感じていました。

幼少の頃から団体生活というものが苦手で、何時も、数人の仲間とだけ遊んでいました。学校は大嫌いでしたので、小学校~高校までは本当に辛い日々でした。

絶対にこの頃には戻りたくないです。

ちなみに大学はけっこう自由にできたので楽しかったですが、歯科技工士学校は、まるで高校時代に戻ったような感じで地獄でした。

もともと、あまり器用な方ではなかったので実習では苦労しましたし、学校の規則はとても

厳しかったです。

周りは高卒の人がほとんでしてたので大学を出て1年経過した自分としては、その中でかなり年配でした。

技工士学校の先生の中には自分より年下の人も何人かいましが、そんな年下の先生に頭を下げて実習の検印をもらうのは屈辱的なことでした。

中には、自分の気に入らない生徒には、なかなか検印しない先生もいました。

実習は検印をもらわないと次の工程に進むことができなかったので、嫌だなと思う先生とも、できるだけ仲良くするように努めるしかありません。

ただ、悪いことばかりではなく、私と同じように大学を出てから入学した年上の女性に恋をして数年間付き合いました。

結局、その女性にはふられてしまい、その後女性不振になってしまいましたが・・・

その後、53歳になるまでずっと独身でした。

技工士学校を卒業と同時に夜のアルバイト先である歯科技工所に就職しました。

技工士学校を卒業して国家試験にパスしたからといって、就職先でやれる仕事というのは限られていて、最初は外交と模型作りが主な仕事でした。

初任給は15万円ほどで、ボーナスは一ヶ月分(年2回)だったと記憶していますので、当時としてはまあまあだったと思います。

技工士は夜も寝ずに働くということを、先輩からよく聞かされていましたが、全くそんなことは無くて、ほとんど定時(夕方5時)には帰ることが出来ました。

従業員はたった3人で、社長を含めて4人という超零細な有限会社でしたが、社長の兄弟(3人)がすべて腕の良い歯科医でしたので、自費の仕事が多く、会社自体はかなり儲かっていたと思います。

従業員の1人は保健の仕事を専門にやっていましたが、それでも手取りで30万円ほどもらっていたと思います。

もう1人の従業員は私と同じ年に技工学校を卒業しましたが、夜間でしたので私より1年先輩でした。

その先輩は義歯(入れ歯)専門の仕事をしていました。

入社してしばらくは、定時に帰ることができましたし、歯科技工士って思ったより楽じゃん・・という感じだったのですが、ある程度、仕事ができるようになってくると保健の仕事を任されるようになり、定時に帰ることが出来なくなってきました。

そんな頃に、なんと、先輩の二人が退職することになりました。

結局従業員は私1人きりになり、社長は自費の仕事専門。

私は保健の仕事と外交・・その他もろもろの雑用、電話番・・・

終電車にも間に合わなくなり、会社に泊まる日もありました。

土日出勤も多くなりました。

給料は多くなったものの、自由な時間は全く無くなりました。

これが歯科技工士の

本来の姿だったのです!!

この頃は本当にストレスの毎日でした。

結局、私もこの会社を辞める決意をし、たいした技術も身に付かないまま個人で開業することにしました。

この頃は、とにかく、自由な時間

が欲しかったのです。

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